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お役立ち情報 / 神奈川新聞社「小学校の男性校長が学校だよりに不適切な表現」の記事で思うこと
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiioct0710132/
たまたま私は某巨大掲示板の話題から一部を取り上げて紹介するニースサイトからこのニュースを見たのですが、この記事がどのように他紙でも取り上げられているのかが凄く気になりました。
果たして校長の書いた「うん子」という表現が不適切であったという事への批判が、なぜか指摘している内容を通り越して、記事中にある
”この文章に保護者らから「子どもたちがかわいそう」「安心して子どもを任せることはできない」などと批判が相次いでいるという。”
↑当初表現に対する批判からどうも話がずれてしまっているのでは、、、、と思ったからです。
モンスターペアレントという言葉を良く聴くようになっていますが、この辺の話題はここでは扱わないとして、
先日新聞ブログを三紙連合「ANY」で記事比較をするツールとして使ってみたいというな今日をAll Aboutのコラムに思いつきで書いたことがあったのですが、CNETで 佐々木俊尚氏が、「三紙連合「ANY」の成功の可能性とは」という記事を書かれており、
"3紙だけを読み比べることに何の意味があるのか。もし本気で「読み比べ」に取り組むのであれば、3紙だけのクローズ戦略は採らず、グーグルニュースのように全国、全世界のありとあらゆるメディアの記事を集めてくるオープン戦略に転じるべきである。さらに言えば、もしそうした「読み比べポータル」を、グーグルニュース的にアルゴリズムによって一覧表示するだけでなく、それらの記事の論調が国や社によってどう異なり、なぜその差異が生じているのかといった分析を、見せてくれれば、かなり面白いコンテンツになる。"
という内容を拝見して、自分のコラムは随分またしょぼい内容で書いてしまって失敗したな〜〜〜と苦笑するしかありませんでした(自爆)
ただ今回の件を踏まえて思い直したのは、
著名な方に対して恐れ多いですが、今回のようなケースを考えた場合に、手っ取り早く同一記事内容の比較を出来るサイトやツールというのは、普段からそれほどグローバルな視点を普段から求められることがない階層の人間にとっては、ある程度楽しめる、役立つツールになるような気がしてなりません。(社会面のニュースであれば国内のソースを拾ってくるだけでもある程度の有用性は確立できるかも?)
そう考えると、「ANY」や「47news」において、同一記事内容の比較を簡単に出来るものとしてやはり新聞ブログって結構使えるのではないかな、、、としつこいようですが思ってしまったんですよね(苦笑)
読み比べの方法論はここでは置いておくとしても、iGoogleは各情報ソースを自分で選択することが出来ますが、自分が気になるニュースを指定し、それらに対して各誌がどのように取り上げているのかを自動で収集〜再構築してくれるような仕組みが「iGoogle」や「47news」で提供されたら少なくとも自分には有り難いです。
メディア・リテラシの必要性についてはマスメディアの情報だけでなく、インターネットに沢山ある情報からそれぞれが必要、有用と思う情報を見つける上で必要な素養と思います。お世辞にも日本の学校教育でこのような考え方を教えている小・中・高校は多くなく、大学においても専攻によってはこういうことはまったく学ぶことなくこの情報過多の世界に投げ出されるのは凄く問題あるように思うのです。
最近の具体的な事例で考えると、沖縄での集団自決問題についての集会参加人数についてや、世界陸上での競歩の誘導ミス、名古屋の新聞拡販員による殺人事件の各誌の論調の違いを知ることはメディア・リテラシを育てていくという側面において凄く分かりやすい事例であり、学ぶ機会ではなかろうかと、、、私自身は学問的にこういう問題を学んでおりませんので、この発言についての説得力は皆無と思いますが、
前述の佐々木俊尚氏は同CNETにおいて「新聞が背負う「われわれ」はいったい誰なのか」というエントリーを書かれており、新聞各紙の唱える「われわれ」が現在のような多様化した時代に対して追いついていない(無数に存在する)と指摘されています。
こちらの記事を読んでいただいた上であれば、1つの新聞においてすでに多様化した現代においては「われわれ」という代弁者的な立ち位置は無理があり、情報の受けての立場としては常に複数のニュースソースの比較や過去記事を横断的に検索できる仕組みの必要性は感じていただけるのではないかと思います。
最後に西村 博之氏は「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」において「集合知を多数決で作るのは間違い。」ということを書かれており、ブログのほうにも補足がされていますが、この考え方は凄く重要と思いました。
「われわれ」という表現が、実際の自分とは乖離した状態ではありながらも、一般大衆の代弁者として多くの人が同調しやすいような形でどんどん放流されている時代においては、
実際に個々人の意見から世論形成が行われるまでには相当の時間を要すると思いますが、少なくとも多面的に情報を参照する仕組みと、そこに同調するなり、異論を唱えるなりの仕組みの両方を確保した上でこの情報化社会との付き合いをしていく必要があると思うのです。
投稿者 staff : 2007年10月06日 19:48 | コメント (0) | トラックバック (0)
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